木谷ミステリー語録
木谷ミステリーが私にとって”社会の教科書”たる所以は、新聞やテレビのニュースをほとんど読まなかった・みなかった私に、世の中でどんなことが起きているのか、社会がどんな方向へ向かおうとしているのかを教えてくれる事件を引用してくれたり、心に残る台詞を用いてくれるからです。宮之原警部お決まりの台詞なども盛り込みながら列挙していきます。
- 中華街はむかしから無尽(むじん)が盛んでね。・・・無尽は頼母子講(たのもしこう)ともいう。一種の積立貯金であり、融資システムでもあった。親または講元といわれる発起人が講をつのる。毎月の掛金が十万円、十ヶ月で百万円の無尽講を十人で始めるとする。一回目は親の権利で、十人が十万円ずつ持ち寄った百万円は親が取るが、二回目からは金の必要な者が入札で競ることになる。八十万で入札した者と七十五万で入札した者がいると、金額の低い七十五万の者が落札し、支払いを受ける。残りの二十五万から、会合の飲み食いの費用を差し引き、残りを十等分して配当になると考えれば分かりやすい。金に忙しい者がいれば、入札の金額が六十万、五十五万と低くなり、配当が高くなる。落札した者も最後まで、毎月の掛金は払わなければならないし、配当を受ける権利を持つ。金に困らない者ばかり集めると、落札する者がいなくて配当がゼロになる理屈だし、金に忙しすぎる者は落札したあとの掛金を払えない恐れがある。親はそのあたりを見極めたうえで講仲間を募り、配当の妙味と危険の防止を計るのだ。<『横浜中華街殺人事件』より>
- 今西「イスラエルの諺に”女は黙っているときでも、嘘をつく”というのがある。理代は信用できるのか」 宮之原警部「それならあんたにこう言おう。バーナード・ショーがこういっている。”四十をすぎた男はみんな悪党だ”」<『横浜中華街殺人事件』より>
- 子供のころ、夏代はきびしく躾けられた。うちの両親はどうして、こんなにきびしいのだろう?恨めしく思ったほどだったが、高校へ進学した日、父は夏代にいった。「今日からはもう大人だからね。夏代の自主性にまかせる。そのために昨日まで、口うるさいほど叱ったり注意したりしてきた。人間の親として、教えることはすべて教えてきたつもりだ。今日からは、お父さんもお母さんも、あなたのことに関して何もいわない。自分で判断をし、自分で責任を取るのだ。そのうえで、あなたの考えにあまることが起こったら、何でもいっておいで。相談に乗ってあげよう。いいね」昨日まで、お前と呼んでいたのが、あなたに変わっっていた。そして、その日以降、父も母も夏代を大人として対等に付き合ってくれた。それでいて、夏代を見守る目に慈愛があった。<『京都いにしえ殺人歌』より>
- (宮之原警部が住之江紗代に)「あなたは警察を辞めようと考えていますね。刑事たちの下品さと尊大さに愛想をつかした。警察内部では小心だが、それでいて部下の女性の尻をなでることには大胆だ。職務に不熱心で、上から指示された捜査を漫然と行っている。そのくせ、外部に対しては傲慢。刑事警察がこれでいいのか。そう思っているじゃないですか。」 「わたし自身がそう思っているからですよ。日本の刑事警察は駄目ですね。当然なんだ。警察全体が公安と警備に偏重してしまっている。事件現場で汗水たらして働いても昇進できない。いや、それ以前の問題として、刑事の自主性を認めない。科学捜査だ、チームワークだと、刑事を管理する。個人が能力を発揮できない機構になってしまった。現に住之江紗代は刑事の質の悪さに絶望して、警察を辞めようとしている」<『加賀金沢殺人事件』より>
- (桐沢香代が宮之原警部に)「そういえば、シンデレラ(歌舞伎町の24時間託児所)で聞いた話だけど、シンデレラで預かっている子供のなかに、戸籍のない子が結構いるそうよ・・・出生届を出そうにも出せないのよ・・・だって、美奈さんのお母さんがいい例じゃないの。出生届を出せば、北九州市の村瀬に居場所を知られてしまうでしょ」<『九州平戸殺人事件』より>
- 「偶然じゃないね。わたしはそういう偶然を信じないことにしている」
- 「わたしは千里眼じゃない」
- (宮之原警部が「絵というのはどういう基準で評価されるものなのですか」と訪ねるのへ)「日本の画壇はじつに狭い。偏狭だといってもよろしいでしょう。評価されるためには、展覧会に出品して、入賞するなり、特選をとるなりしなければなりませんが、その審査自体が情実で左右されます。絵はいいと思えばいい、よくないと思えばよくない。人間の描いた絵を人間が審査するのですから、絶対的な基準を求めることは無理でしょうが、日本の画壇で通用するためには、絵の才能以外に世渡りの才能が必要なことも、ある程度、常識といっても過言ではないのではないですか」 「一流でとおっている画家が、自分の名前に箔をつけるため、涙ぐましい努力をしております。ほんの一例ですが、芸術院会員の改選があります。会員の互選で選ばれるのですが、これはもう政治家の選挙の比ではありません。買収、餐応、戸別訪問。あらゆるつてをたどって選挙運動をします。芸術功労賞、文化勲章、みんなそうです。絵画や書の世界は汚れきっています」<『信濃いにしえ殺人画集』より>
- (自分に”画家の狂気”の部分がないとつぶやく千代に宮之原警部が)「今の時代がそうなのじゃないかな。狂気を許さなくなった。金儲けのための絵は歓迎しても、人間の心のなかにすむ狂気を許さない。芸術が生まれにくい時代ですね」<『信濃いにしえ殺人画集』より>
- 「日本全国で土建会社が二十万社ある時代だ。喫茶店が十二万軒で、コンビニが六万店くらいだったかな。だから、日本中、どこへ行っても道路工事をしてるんですよ」
- 「野麦峠の野麦は熊笹の実のことだそうですな。会津磐梯山では、笹に黄金がなりさがる、と歌いますが、あれが野麦です。熊笹の実は麦によく似ておりまして、あれはどういうわけか、飢饉の年になると実を付けるらしいですな。その笹の実を食べて飢えをしのいだそうでして、それくらい貧しかったのですよ」<『野麦峠殺人事件』より>
- (小清水峡子を秘書に迎えた宮之原警部を”鈴をつけられたネコの心境”と表現したときの余談)ネコは非常に聴覚の敏感な動物で、首につけられた鈴の音が、人間の聴覚でいうと、歩くたびに耳元で釣鐘が鳴っているほど苦痛なのだそうだ<『出雲いにしえ殺人事件』より>
- (生まれたばかりの赤ん坊に本を読んで聞かせることについて)「買って与えるだけじゃあだめなのよ。読んであげることが大切なの」 「三つ子の魂っていうでしょ。ものいわぬ赤ちゃんにだって魂はあるの。わたし、聡子の魂に呼び掛けているのよ」 「狼少女って知ってるでしょ。狼に育てられて、七歳のとき、人間に発見された少女。その子が発見されたとき、二本足で立って歩くことを知らなかったのよ。人間が立って歩くのは本能でも先天的な才能でもないの。歩くことだって学習の一つなの」 狼に育てられた少女は、狼のように四本足で走ったという。犬歯が異常に発達し、牙のようになっていた。狼として生きる必要が、牙を形成していたのだ。少女はその後、ロンドンへ引き取られ、個人教師がつきっきりで教えたが、十年経ってからでも、生きていくのに必要な言葉を話すことができなかったと言われている。人間の赤ちゃんは親や兄弟が話しているのを耳にし、目に映るものを見ているうちに、特別に教えられなくても、三歳になるころには三百や五百の単語を話すようになる。と同時に脳のなかの記憶のネットワークが発達して、保育園なり幼稚園で教育を受ける下地ができていくのだが、狼に育てられた少女は脳細胞まで狼として成長していた。人間に発見された七歳では、もう人間として生きるのに手遅れだったのだ。その狼少女の例がしめすように、先天的な才能とか能力というのは、問題にならないほど小さい。先天的と思われているような才能や性格のほとんどは、生まれたあとになって開発されたものだ。物心がつくまでの段階、つまり、三歳までの生活環境が子供の性格と才能を決定させる。生まれた直後から、その子を取り巻く環境と刺激が、自然の学習の役割を果たし、その子の性格を決定していく。目で見、耳で聞いたことが、性格をつくって行く。<『京都渡月橋殺人事件』より>
- (天然石の砥石について)「天然石はこうやって、研いでいるとドロドロになってくる。このドロドロが刃物の切れ味をよくしてくれる。このドロドロは研げば研ぐほど粒子が細かくなって行く。砥石のいのちはこのドロドロで、ドロドロのなかで刃物を遊ばせてやる。遊ばせてやればやるほど、無限大に切れ味がよくなって行く。人造砥石ではそれができんのじゃよ。」<『京都渡月橋殺人事件』より>
- 美術品というのは、受難の時代がつきものなのでして、それまでの名家が没落すると売りに出され、成り上がった金持ちが買う。この繰り返しですよ。いま現在、欧米の名画が五十億、七十億といった値段で日本へ入ってくるのは、日本が成り金になっている証明のようなものです。<『奈良いにしえ殺人絵巻』より>
- 明治の初めに日本古来の神様を大切にしよう、寺や仏は壊せという時代がありまして、そのとき奈良の興福寺などは、ひどい目にあったものです。天理市にあった永久寺なんか、寺ごとそっくり壊されてしまったのですよ。いえ、ちいさな寺ではありません。比叡山の延暦寺とか、上野の寛永寺のように、年号を寺名にした寺というのは格が高くて、それにふさわしい寺宝を持っているものです。永久寺も平安時代の末、永久二年に鳥羽天皇の勅願によって建てられた大寺院なのですが、明治四年にうちこわされ、いまは荒れた古池が残るだけです。<『奈良いにしえ殺人絵巻』より>
- 『禅掃除、真言料理、門徒花、盛り物法華、浄土自堕落』